neneisan’s blog

紆余曲折を経てマーケティングの仕事をしている、40歳手前の会社員。ふつーのロスジェネ世代の日常。

女子校ってどうなのか

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こんなのを見かけたので。

私は女子校出身です。自ら望んでというよりは、周りの大人に勧められて入った感じ。そりゃもう最初は戸惑うことばかりだったけど、今から思えばよかったと思うこともいろいろあるので書き留めておく。

・先生の考え方
学校が有名大学進学に力を入れていたので、勉強したい欲は満たされたし、大学受験に対する心配はほぼなかったと思う。ただ、途中でついていけなくなり、落ちこぼれたのでそういう辛さはあったが、周りが一生懸命勉強している人ばっかりだったので、「私も大学へ行こう」という気持ちは最後まで持てた。

また、先生方の考え方が「これからの時代は女子も社会で活躍してほしい。そのために勉強が必要」だった。だから、大人になってから「女子は勉強しなくていい」と言われたことがある人が居ると知って驚いたし、そういう人が居たことで勉強する機会を失った人は居るんだろうなとも思った。実際に本人がどうするか、は社会に出てから本人が考えて選択することであるが、選択肢を広げるためには勉強が必要なのではないかと思っている。

・男は理系、女は文系
理系文系という括り自体がもう通用しなくなってきていると感じるが、私の通っていた学校は文系より理系クラスの方が多かったので、当時は理系に男も女もないと思っていた(実際、大学に入ったら明らかに男子の方が多かったのだが・・・)。女子だから理系科目はあまりできないという思い込みも母校の先生方には無かったようで(君らは賢いんだから、とよく言われていた。実感はなかったけれど)、積極的に多くのことを教えてもらった。

偶然、親もそういうことに口出ししない人だったので、好きな理系科目ができる進路をとった。それに、当時は理系の方が就職が有利と言われていた(実際はどうかわからない)。大学時代、塾講師のアルバイトをしている時は、理系講師不足で結構忙しかった記憶がある。結果的に、氷河期後半だったので、あまり就職の選択肢は多くなかったけれど、研究室生活や研究を通じて得たものは多かったので、理系に進んでよかったと思っている。

・みんな積極的
共学がどうなのか知らずに書くけれど、文化祭や体育祭などでも全員が結構積極的に参加していた記憶がある。協力してくれない人が居て嫌だった、という思い出がない。それに男子がどうのこうの、というのがなくて、それはそれで(もちろん不自然でアンバランスな世界であるとは思うけれども)居心地がよかったように思う。

・アンバランスな世界
これは否定できない。男は先生だけなのだから・・・もちろん、先生との噂のある人が全く居なかったわけではないが、皆「本業は勉強」と思っていたのか、あまり深入りすることもなく揉め事などもなかったように思う。昔と違って、今はいろいろな場所やツールがあるのだから、アンバランス感を払拭したい人は学校外でも習い事など世界を広げれば、この点はカバーできるのではないかと思う。実際、当時でも塾や地元で彼氏のいる人も多かったし、女子校=男日照りというのも違うんじゃないかなと。高校時代の友人らも普通に結婚してますし。


思いつくままにつらつらと。今日のところは以上です。

数学の話

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最近数学の話を見かけるので思い出などなど。

小学校は算数・理科より国語好き→中2まで数学あまりできない子どもだった。定期テストは何とかなるけど実力テストは全然できない。適当に教科書を覚えて乗り切っていただけ。

ところが中3、高校受験を目の前に大きな変化があった。何としても高校受験を成功させたかった両親が動き、生活を切り詰めて嫌がる私を無理やり塾へ入れ、これまでの何倍もの量・時間の勉強をする羽目になった。入試問題を見尽くしたベテランの先生(もうおじいちゃんに片足突っ込んでいるくらいの年齢の)が作った、受験数学で出てくるパターンの繰り返し。授業→テスト→説明→テスト直し→再テスト→授業・・・の繰り返し。嫌々ながら毎日毎日休まずこればかり繰り返したところ、半年くらいで見かける問題はほぼわかるようになった。半分くらいは馬鹿の1つ覚えだったのだとは思うが、偏差値が格段に上がり、志望校にも合格した。

大人になってから、どんなものでもまずは「10,000時間やればモノになる」というのを聞いた。今から思えば数学の勉強もそうだったのではないかと。中3から4年(1日8時間休まずやれば10,000時間までに3年半くらいかかる)=高校卒業くらい で、やっと数学が少しできるようになり、楽しいと思えるようになり、その時がちょうど大学受験であった。

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ここにも書かれている通りで、「わからないのが恥ずかしい」「笑われる」というのは特に中学生くらいだとあると思う。実際、大学生の時に家庭教師をしていた生徒たちがそうだった。お茶でも飲みながら「私笑ったりせんから言うてみ?」と言うと、わからないところを話してくれる。

幸い、私が放り込まれた塾はベテランの先生が多く、落こぼれ~偏差値75まで色々見てきているからか、少しくらいわからなくても驚かれることはなかった。先生は皆なかなか怖かったが「何でも聞いていいんだ」という空気はあった。おかげで嫌な思いをせずに済んだ。もしかしたら、これも成績が上げられた一因だったかも、と今となっては思う。

「今の先生は余裕がない」とよく言われるが、先生がじっくり生徒に向き合う時間・機会が足りないのは昔からなのかもしれない。結局、私の場合も助けてくれたのは塾の先生だったし、学校の先生(特に公立の)は授業についていけないレベルの生徒を何とかする方が先決で、平均点前後以上の生徒はほったらかし、というのが、人数も多い私たちの世代の話だ。また、学校の先生(特に公立の)はやれ部活だPTAだ生徒指導だと授業以外の仕事も多いので、そこまで手が回らないのだろうと想像もつく。

数学は覚える教科ではない、と思う人も多いかもしれないが、覚える→繰り返す→いつの間にか理解しているという流れも無視できない。仕事していても同じようなことはある。何度聞いてもピンと来ないことも、何度もやっているうちにいつの間にかマスターしていて誰かに教えられるようになっている、というようなこと。

効率化、生産性向上、残業しない・・・こういうことが言われ続けているが、普通以下のスペックの人間にとっては、同じことの繰り返しがもたらす効果も無視できないのかもしれないと思ったり。

片付けられない人

片付けられない人って職場に常時1人は居る。かく言う私も、子どもの頃から片付け上手ではなかったけれど一人暮らしを長いことしているうちに、本当に必要なものを持っておいて必要な時に出せるようにするには、身の回りが片付いてないといけないと気がついてできるようになった。

そして、身の回りを片付けることの最大のメリットは、自分の頭の中や精神面も整理できることだと思っている。偶然かもしれないが、片付けられなかった時期の自分は人間関係もきちんと整理できていなかった、と思い出すことが多い。

そういう経験もあって、後輩たちにもデスク周りが片付いている状態を作ってほしいし、そうすることで、一人一人のお客さん・そのお客さんたちに渡す資料・もらったデータなども大事にできるのではないか。それらを大事にできれば、もっとお客さんに喜ばれる仕事に繋がると思うし、身の回りに無駄なものがなければ、本当に大事なものや今やらなければいけないことが何か見えてくるのではないか、と考えている。

複雑に人間と業務が絡み合う仕事なので、入社して3年くらいは、仕事内容だけでなく人間関係でも思いつめたり行き詰ったりしているメンバーも多い。そういう時に適切なアドバイスができる先輩でいたいと思っているが、彼ら彼女らを見ていても、頭の中・心の中が整理整頓できていない時は、身の回りも整理整頓できていないことが多い(これまで15年ほどの統計)。習慣付けを他人から働きかけることは難しいが、めげずに、諦めずに、あの手この手で働きかけてみようと思っている。

どうしたらいいかわからなかった話

音楽をやる某団体(30人くらい)に所属している。もちろんアマチュアだし趣味の範疇だが、日曜に集まってプロに指導料を払って指導してもらっている。そこへ最近入ってきたのが20代社会人女性C子。パート(=小グループ)ごとにリーダーと構成員がおり、リーダーは自分も演奏をしながら小グループ内全体に目を配る、という中間管理職的な役割を担っている。私の所属しているパートは、半年ほど前にリーダーが退団し、私が急遽リーダーを引き受けることになった。

 

そんな立場もあり、C子のフォローをすることになった。実はコンサートが間近に迫っており、C子は少しブランクもあるので、コンサートが終わってからの合流でいいんじゃないかと思っていたのだが、団の代表が「どうしても」と言うので、代表の顔を立てることにし、これまで練習してきている他のメンバーと何とか一緒にできるよう私がフォローする、ということになった。

 

とは言え普段は「社会人の団体だし、皆ある程度経験のある人ばかりなので、基本的には各自で練習して」とお願いしている。もちろん趣味の範疇だが、1構成員である以上、ある程度の責任はある。地域から支援してもらったりしているので、きちんとした成果を残す必要もある。練習の方法や場所は各自にお任せで、できないところは自分の責任ですよ、というスタイル。どうしてもパートで合わせないといけないときだけ、集まって練習するという感じ。私自身、個人の練習までフォローするつもりはないし、自分が他人からとやかく言われるのは嫌なので、そういう方針でやらせてもらっている。事前に皆理解してくれたし、構成員の皆がこの方針を気に入らないなら、私はいつでもリーダーを誰かに代わってもらうつもりでいる。が、今のところ誰も何も言ってこないし、この方法でそれなりに成果も出てきていると感じる。

 

これまで、特に問題はなかった。これまでは。それが、今回この話をC子にしたところ「こんなのできません」と大泣き。いろいろ話を聞いていくと「仕事が忙しくて時間が取れないし」「練習する場所も近くにないし」などなど。「じゃぁやめときますか?」→無言で泣く。どうしたらいいかわからない・・・。

 

うちの構成員は、不定休、保育園児がいる、家が遠い、仕事が超多忙etc.・・・皆、それぞれ制約を抱えているが、できることを模索してやっている。人間には1日24時間しか与えられていないのだから、その24時間をどう上手く使うのか?を考えて取り組むのが大人なんじゃないのか。そこも楽しめてはじめて「趣味」でしょう。私はC子の個人練習の時間管理や中身にまで、フォローを入れないといけないのか。彼女が私に何を求めているのかわからなくなり、その場から帰ろうかとも思ったが、とりあえず「私は立場上、練習しなくていいとか、50%の完成度でいいとかは言えない。だからやってもらうしかない」と言ってみた。無反応。泣く。おそらくこの話は平行線なんだろう。

 

結局、「できるかできないかも大事だけど、限られた時間の中でやれることを工夫することも大事なんじゃないの?」という方向に話を持って行き、無理やり話を終わらせた。できないなら辞退すればいい話だし、なぜ他人の趣味の範囲のことまで、こちらが口出ししないといけないのか、私のその時間は誰が保証してくれるんだ、という気持ちになった。私は他人のフォローをするためにこの団に所属しているわけではない。

 

この話をある人にしたところ「人生に残されている時間が違うからだよ」と言われた。確かに、私は彼女より15歳くらい長く生きている分、人生に残されている時間は短い。だから、やりたいことを精一杯やりたいし、自分が価値を感じられないことは極力やりたくないと思っている。そして「最近は“ 総中流”でもなくなったんだよ」とも言われた。みんな、ある程度の処理能力、理解能力があって、何となくでも物事が前に進んでいく・・・という世の中ではもうないんだとのこと。人間力、学力、経済力・・・そういうものの格差がひろがり、同じ話をしても分かる人と分からない人と格差ができてしまっているのだろうと思った。

 

泣くのは卑怯だ。どうしても泣かせた方に対して「何したの?」という流れになる。フェアじゃないと思う。その“フェアじゃない感”にとてもストレスがたまった。今後、C子とはどうやっていけばいいのか、わからなくなってしまった。

なんか違う

隣のチームのS子が退職することになった。最近、元気がなかったので少し気にはなっていたが。

S子が退職することが公になり、私のチームのJ子はわざわざ「どうしたんですかねー」「LINEが既読スルーになるんですよー」など、事情を知らない新人さんの前でなんだかんだと、とりとめのないことを言っていた。

気になるのはわかる。私も気にはなる。だが、既読スルーするということは「構わないで欲しい」のアピールではないのか。もやもやとしたものの、理路整然とダメな理由が説明できない気がしたので、「S子は何か思うところあったんじゃない?」とだけ言い、ただひたすら黙っていた。

J子と私の間には、こういうもやもやが多い。ルールだから、とかなら簡単に説明できるが、ちょっと空気を読むというか、よく観察してから口に出すというか、彼女はそういう部分の方向性が少しずれている。飲みに行って話をしていても、何だかポイントがずれたところでやたら気を遣っていたりして、考えていることがあまりよくわからない。でも、完璧に悪いとか間違っているわけではないし、仕事はそこそこちゃんとやっているので、私から指摘するものかというと、それはそれで何か違うような…

ただ、何か違うという気分だけが膨らんでいく。今週はいろいろあって疲れた。

 

指示の難しさ

最近、会社であった出来事をつらつらと書いてみる。

私が所属するのは50人くらいの部署なので、それなりに業務も分担されていて、外部に出すものはチェック体制がある。だから、例えば販促DMなんかを打つときには、作成者→チェック者→決裁→発注 という流れがあって、数人が関わっている。新人も、これらのフローは最初から教えられるので、正社員でなくても知っている。

入社1年弱の後輩A。上司から文章作成を指示されて、文章を作成。この後、チェック→決裁・・・と続いていくのだが、締め切りが近づいても一向に連絡がない。Aに確認すると「作成してと言われたので作成しました」 確かにファイルは完成している。しかし、チェック者にチェック依頼をしていないし、誰にもきちんとした連絡がされていない。だから、そのまま放置。確かに上司は「作成して」としか言っていないかもしれないが・・・。「チェック者に渡してとは言われなかったので、何もしていません」えーー(絶句)。

まあ確かに、私も新人のときは訳もわからず目の前のものをやっつけていたけど・・・Aに限らず「言われたことをやればそれでよい」という思い込みや、「この仕事の最終ゴールは何か?」を考えない仕事の仕方、が最近とても気になる。確かに新人だと「言われたことをその通りにやる」ので精一杯かもしれないが、「これは何のためにやるのか?」を考えれば、まずは自分がどこまでやればいいか(今回の例だと、文章を作成した後、チェック者に連絡する必要がある)が想像できるはずでは?なんだこの食い違い。結局、こちらからの指示としては「ゴールは○○。だから~という文章を作成してね。作成したら、チェック者に回してね」というところまで言わないといけないということか。愕然。

この仕事は何のためにやるか。会社って結局売上のために仕事をしているわけだし、自分の給料はうちの商品を買ってくれたお客さんから出ている。自分が給料をもらうためには、売上を上げ続ける必要がある(直結はしないかもしれないが)。この大原則が欠落しているから、「言われた通りにやっておきました(で、何がいけないんですか?)」っていう感じになってしまう。単なる主体性のなさ、では解決しない話のような気がする。
 
一体、先輩や上司はどこまで指示、指導するのが正解なのか。自問自答はまだまだ続く・・・。

気を遣う

最近知り合った人に、周りに気を遣いすぎなのでは?と思う人がいる。本人は当たり前と思ってやっているみたい(若い人なので)だが、少し心配になるくらい気を遣っているように見える。

私は、周りの人とは支障のない程度に直球で付き合っていく人間なので、気を遣う度合いが極端に違う人とコミュニケーションを取るとなると、それなりに神経を使うことになる。結果、気を遣いすぎる人と付き合うには、普段以上に気を遣うことになる。結果、その場の居心地に影響してくる。

で、周りを見渡してみると、「気を遣われている」と感じると「自分も相手に気を遣わなくては・・・」と自動的に考えるのか、私と同じ傾向になっている人がいる、ということに最近気がついた。


気を遣いすぎる傾向にある人を、気を遣いすぎないようにさせるには、どうしたらいいのだろうか。普通に「気を遣わなくていいよ」と言ったところで、もともと気を遣いすぎるタイプの人に、そう簡単に変えられるものではなさそうだし。だからと言ってずけずけいくのも、荒療治な気がするし。今のところ、答えは出ていない。