neneisan’s blog

紆余曲折を経てマーケティングの仕事をしている、40歳手前の会社員。ふつーのロスジェネ世代の日常。

片付けられない人

片付けられない人って職場に常時1人は居る。かく言う私も、子どもの頃から片付け上手ではなかったけれど一人暮らしを長いことしているうちに、本当に必要なものを持っておいて必要な時に出せるようにするには、身の回りが片付いてないといけないと気がついてできるようになった。

そして、身の回りを片付けることの最大のメリットは、自分の頭の中や精神面も整理できることだと思っている。偶然かもしれないが、片付けられなかった時期の自分は人間関係もきちんと整理できていなかった、と思い出すことが多い。

そういう経験もあって、後輩たちにもデスク周りが片付いている状態を作ってほしいし、そうすることで、一人一人のお客さん・そのお客さんたちに渡す資料・もらったデータなども大事にできるのではないか。それらを大事にできれば、もっとお客さんに喜ばれる仕事に繋がると思うし、身の回りに無駄なものがなければ、本当に大事なものや今やらなければいけないことが何か見えてくるのではないか、と考えている。

複雑に人間と業務が絡み合う仕事なので、入社して3年くらいは、仕事内容だけでなく人間関係でも思いつめたり行き詰ったりしているメンバーも多い。そういう時に適切なアドバイスができる先輩でいたいと思っているが、彼ら彼女らを見ていても、頭の中・心の中が整理整頓できていない時は、身の回りも整理整頓できていないことが多い(kれまで15年ほどの統計)。習慣付けを他人から働きかけることは難しいが、めげずに、諦めずに、あの手この手で働きかけてみようと思っている。

どうしたらいいかわからなかった話

音楽をやる某団体(30人くらい)に所属している。もちろんアマチュアだし趣味の範疇だが、日曜に集まってプロに指導料を払って指導してもらっている。そこへ最近入ってきたのが20代社会人女性C子。パート(=小グループ)ごとにリーダーと構成員がおり、リーダーは自分も演奏をしながら小グループ内全体に目を配る、という中間管理職的な役割を担っている。私の所属しているパートは、半年ほど前にリーダーが退団し、私が急遽リーダーを引き受けることになった。

 

そんな立場もあり、C子のフォローをすることになった。実はコンサートが間近に迫っており、C子は少しブランクもあるので、コンサートが終わってからの合流でいいんじゃないかと思っていたのだが、団の代表が「どうしても」と言うので、代表の顔を立てることにし、これまで練習してきている他のメンバーと何とか一緒にできるよう私がフォローする、ということになった。

 

とは言え普段は「社会人の団体だし、皆ある程度経験のある人ばかりなので、基本的には各自で練習して」とお願いしている。もちろん趣味の範疇だが、1構成員である以上、ある程度の責任はある。地域から支援してもらったりしているので、きちんとした成果を残す必要もある。練習の方法や場所は各自にお任せで、できないところは自分の責任ですよ、というスタイル。どうしてもパートで合わせないといけないときだけ、集まって練習するという感じ。私自身、個人の練習までフォローするつもりはないし、自分が他人からとやかく言われるのは嫌なので、そういう方針でやらせてもらっている。事前に皆理解してくれたし、構成員の皆がこの方針を気に入らないなら、私はいつでもリーダーを誰かに代わってもらうつもりでいる。が、今のところ誰も何も言ってこないし、この方法でそれなりに成果も出てきていると感じる。

 

これまで、特に問題はなかった。これまでは。それが、今回この話をC子にしたところ「こんなのできません」と大泣き。いろいろ話を聞いていくと「仕事が忙しくて時間が取れないし」「練習する場所も近くにないし」などなど。「じゃぁやめときますか?」→無言で泣く。どうしたらいいかわからない・・・。

 

うちの構成員は、不定休、保育園児がいる、家が遠い、仕事が超多忙etc.・・・皆、それぞれ制約を抱えているが、できることを模索してやっている。人間には1日24時間しか与えられていないのだから、その24時間をどう上手く使うのか?を考えて取り組むのが大人なんじゃないのか。そこも楽しめてはじめて「趣味」でしょう。私はC子の個人練習の時間管理や中身にまで、フォローを入れないといけないのか。彼女が私に何を求めているのかわからなくなり、その場から帰ろうかとも思ったが、とりあえず「私は立場上、練習しなくていいとか、50%の完成度でいいとかは言えない。だからやってもらうしかない」と言ってみた。無反応。泣く。おそらくこの話は平行線なんだろう。

 

結局、「できるかできないかも大事だけど、限られた時間の中でやれることを工夫することも大事なんじゃないの?」という方向に話を持って行き、無理やり話を終わらせた。できないなら辞退すればいい話だし、なぜ他人の趣味の範囲のことまで、こちらが口出ししないといけないのか、私のその時間は誰が保証してくれるんだ、という気持ちになった。私は他人のフォローをするためにこの団に所属しているわけではない。

 

この話をある人にしたところ「人生に残されている時間が違うからだよ」と言われた。確かに、私は彼女より15歳くらい長く生きている分、人生に残されている時間は短い。だから、やりたいことを精一杯やりたいし、自分が価値を感じられないことは極力やりたくないと思っている。そして「最近は“ 総中流”でもなくなったんだよ」とも言われた。みんな、ある程度の処理能力、理解能力があって、何となくでも物事が前に進んでいく・・・という世の中ではもうないんだとのこと。人間力、学力、経済力・・・そういうものの格差がひろがり、同じ話をしても分かる人と分からない人と格差ができてしまっているのだろうと思った。

 

泣くのは卑怯だ。どうしても泣かせた方に対して「何したの?」という流れになる。フェアじゃないと思う。その“フェアじゃない感”にとてもストレスがたまった。今後、C子とはどうやっていけばいいのか、わからなくなってしまった。

なんか違う

隣のチームのS子が退職することになった。最近、元気がなかったので少し気にはなっていたが。

S子が退職することが公になり、私のチームのJ子はわざわざ「どうしたんですかねー」「LINEが既読スルーになるんですよー」など、事情を知らない新人さんの前でなんだかんだと、とりとめのないことを言っていた。

気になるのはわかる。私も気にはなる。だが、既読スルーするということは「構わないで欲しい」のアピールではないのか。もやもやとしたものの、理路整然とダメな理由が説明できない気がしたので、「S子は何か思うところあったんじゃない?」とだけ言い、ただひたすら黙っていた。

J子と私の間には、こういうもやもやが多い。ルールだから、とかなら簡単に説明できるが、ちょっと空気を読むというか、よく観察してから口に出すというか、彼女はそういう部分の方向性が少しずれている。飲みに行って話をしていても、何だかポイントがずれたところでやたら気を遣っていたりして、考えていることがあまりよくわからない。でも、完璧に悪いとか間違っているわけではないし、仕事はそこそこちゃんとやっているので、私から指摘するものかというと、それはそれで何か違うような…

ただ、何か違うという気分だけが膨らんでいく。今週はいろいろあって疲れた。

 

指示の難しさ

最近、会社であった出来事をつらつらと書いてみる。

私が所属するのは50人くらいの部署なので、それなりに業務も分担されていて、外部に出すものはチェック体制がある。だから、例えば販促DMなんかを打つときには、作成者→チェック者→決裁→発注 という流れがあって、数人が関わっている。新人も、これらのフローは最初から教えられるので、正社員でなくても知っている。

入社1年弱の後輩A。上司から文章作成を指示されて、文章を作成。この後、チェック→決裁・・・と続いていくのだが、締め切りが近づいても一向に連絡がない。Aに確認すると「作成してと言われたので作成しました」 確かにファイルは完成している。しかし、チェック者にチェック依頼をしていないし、誰にもきちんとした連絡がされていない。だから、そのまま放置。確かに上司は「作成して」としか言っていないかもしれないが・・・。「チェック者に渡してとは言われなかったので、何もしていません」えーー(絶句)。

まあ確かに、私も新人のときは訳もわからず目の前のものをやっつけていたけど・・・Aに限らず「言われたことをやればそれでよい」という思い込みや、「この仕事の最終ゴールは何か?」を考えない仕事の仕方、が最近とても気になる。確かに新人だと「言われたことをその通りにやる」ので精一杯かもしれないが、「これは何のためにやるのか?」を考えれば、まずは自分がどこまでやればいいか(今回の例だと、文章を作成した後、チェック者に連絡する必要がある)が想像できるはずでは?なんだこの食い違い。結局、こちらからの指示としては「ゴールは○○。だから~という文章を作成してね。作成したら、チェック者に回してね」というところまで言わないといけないということか。愕然。

この仕事は何のためにやるか。会社って結局売上のために仕事をしているわけだし、自分の給料はうちの商品を買ってくれたお客さんから出ている。自分が給料をもらうためには、売上を上げ続ける必要がある(直結はしないかもしれないが)。この大原則が欠落しているから、「言われた通りにやっておきました(で、何がいけないんですか?)」っていう感じになってしまう。単なる主体性のなさ、では解決しない話のような気がする。
 
一体、先輩や上司はどこまで指示、指導するのが正解なのか。自問自答はまだまだ続く・・・。

気を遣う

最近知り合った人に、周りに気を遣いすぎなのでは?と思う人がいる。本人は当たり前と思ってやっているみたい(若い人なので)だが、少し心配になるくらい気を遣っているように見える。

私は、周りの人とは支障のない程度に直球で付き合っていく人間なので、気を遣う度合いが極端に違う人とコミュニケーションを取るとなると、それなりに神経を使うことになる。結果、気を遣いすぎる人と付き合うには、普段以上に気を遣うことになる。結果、その場の居心地に影響してくる。

で、周りを見渡してみると、「気を遣われている」と感じると「自分も相手に気を遣わなくては・・・」と自動的に考えるのか、私と同じ傾向になっている人がいる、ということに最近気がついた。


気を遣いすぎる傾向にある人を、気を遣いすぎないようにさせるには、どうしたらいいのだろうか。普通に「気を遣わなくていいよ」と言ったところで、もともと気を遣いすぎるタイプの人に、そう簡単に変えられるものではなさそうだし。だからと言ってずけずけいくのも、荒療治な気がするし。今のところ、答えは出ていない。

何でも満遍なく

正月の男尊女卑、というのを読んだ。事情もいろいろあるだろうから、自分のいうことが正解とは限らないけど、つらつらと。

 

車の運転とか高いところの大掃除は誰がやるんだ、とブコメもあったが、できる限り男も女も何でもやればいい、というのが個人的な考え。昔みたいに、お父さんが終身雇用で稼いできてお母さんが家事、という家庭でなんの問題もなくやっていける時代ならいいが、そんな時代じゃない。男だろうが女だろうが若かろうが年寄りだろうが働ける人は可能な限り働けばよいし、家事も誰でもできた方がいい。やらなくて何も起こらないなら、それに越したことはないかもしれないが、絶対ないとは言えないわけだから、お父さんやお母さんが突然死んだり、身体が動かなくなったりしたらいきなり路頭に迷う。会社も面倒みる体力なんてない。普段から仕事も家事も車の運転もできるようにしておけば、細々でも暮らしは続けていける。

 

家族の喪失感に打ちひしがれながら、慣れない仕事や家事は大変過ぎる。まして介護などとなればなおさら、終わりが見えないんだから、丈夫なひとでも身体や心がやられるだろう。でも、少しでも収入があったり、家事になれていれば、いざという時に少しは動きやすいはず。

 

だから我が家は全員働いているし、家事も何でもする。車の運転も交代でやる。夫のお母さん(70代)も週6で仕事している。誰かに何かあっても、細々とでも継続していける生活。そんな考え方がいいなと思い、この家にきた。

 

会社が生活を保証してくれない時代。みんな何でも少しずつできる方が、楽しく不安少なく生きていけそうな気がする。

初買い物

http://www.uniqlo.com/jp/store/feature_mb/uq/fe_list/knit?quickviewproduct=173616

 

ぐうたら正月でしたが、今日は夕方から散歩。ふらっと寄ったユニクロでセールをしていたので、カシミヤセーターget.久しぶりに服を買った。

 

ユニクロってやっぱりユニクロだけど、5,000円以上のものは仕事の日もそれなりに使えるかな、と最近は思う。社外の人と直接会う仕事は少ないが、営業マンたちと一緒にいることが多いので、それなりにビジネスっぽい服を選んでおかないと浮いてしまうし。あとは休日用の暖パンも半額だったので入手。これで春まで快適なはず・・・。

 

服って難しい。年齢もあるし、似合う色もあるし、サイズ感、自分のイメージ、TPO。髪型と同じで第一印象も左右するし、お金もかかる。考えるの面倒。だから本気でおしゃれしている人をみると感心する。